愛知県刈谷市に本社を構える、世界トップレベルの自動車部品メーカー、デンソー。同社が働き方を一新し、より「戦える集団」への変革を目指してオフィス改革に着手したのは2019年のことでした。広さにして約7万2000平米、対象となる社員はおよそ1.8万人。この超大規模なリニューアルを3年で完遂するという難題に、パートナーとして選ばれたのがワークプレイスソリューションズと、オフィスと働き方改革を専門とするコンサルティング企業ドウマの小澤氏でした。プロジェクトはいかにして質を保ちながらスピーディに進められたのか、コロナ禍を経た今、デンソーはオフィス改革の成果をどう捉えているのか。総務としてプロジェクトをメインで牽引されたデンソーの都築様と共に、その歩みを振り返ります。
(プロフィール)
都築 延枝様
株式会社デンソー 総務部刈谷総務人事室 働きがいサポート課 課長。
改革以前のオフィス環境と社員の働く姿を間近で見てきた立場から、リニューアルに強い想いを抱く。プロジェクトの立ち上げを主導し、120部署1.8万人の社員とのコミュニケーションを図り、オフィス改革を完遂に導いた。
小澤 清彦様
ドウマ株式会社代表。ハーバード大学設計大学院設計学修士。ワークプレイス研究を専門とし、外資系及び日本企業のワークプレイスストラテジー、プログラミング、設計のコンサルティングに従事。これまでに100社以上の実績を持つ。今回のプロジェクトではワークプレイスソリューションズとタッグを組み、改革のロジックの組み立てや現場への理解浸透を推進した。
越田 壮一郎
株主会社ワークプレイスソリューションズ(以下WSI)代表取締役。働き方に関するコンサルティングや世界各国の優れたオフィスコンセプト・プロダクトの提供を通じて組織の「生産性」や「創造性」を高めるワークプレイスのあり方を追求し、グローバルクライアントプロジェクトに従事。本プロジェクトではコンサルティング及び設計を行った。
100年に一度の岐路。
危機感に導かれた、働き方の再設計。
デンソー 都築様:今回のオフィスリノベーションは、広さにして約7万2000平米、部署数にして120というおよそ類を見ない規模で行われました。期限は3年、目的はオフィス改革を通じて「働き方を変える」こと。その本質から逸れることなく、スピーディにプロジェクトを完遂してくれるパートナーとして、WSIさんにぜひご協力いただきたいと考えました。WSIさんは「綺麗なオフィスをつくる」ことを目標とせず、オフィスをあくまで「理想の働き方」を実現するためのツールとして捉えておられる会社です。今回のプロジェクトでも、オフィスを通じて個々人のマインドチェンジを促し、「理想の働き方」の実現に向けて全方位からプロジェクトマネジメントしてくださるのではと期待していました。小澤さんもまたマインドチェンジに重きを置いておられる働き方改革の第一人者。ぜひコンサルティングをお願いしたいと思いました。
WSI 越田: デンソーさんが、そこまで強い危機感を持って「働き方を変えたい」と考えておられたことに、最初は正直驚きました。デンソーさんといえば日本有数の超大手企業で、外から見れば順風満帆のイメージでしたから。ただ、お話を聞いていくうち、現在のデンソーさんが「自動車産業から他の産業に移り変わるレベルの大変革期」にあることがひしひしと伝わってきました。経営陣の皆様からも、今変われるかどうかが企業としての生死を左右するのだと言わんばかりの強いメッセージを感じましたね。
デンソー 都築様:経営陣からは、100年に一度の大変革を乗り切っていくために、より「戦える集団」にならねばならないと言われていました。マインドと体制の変革が今回のプロジェクトの大きなミッションであり、オフィスはそのための重要なツールなのです。
ドウマ 小澤様:「働き方改革」と「オフィス改革」は我々専門家からすると直結して然るべきことですが、一般的にはまだまだ結びついておらず、我々がお伝えして初めて関係性に気づいていただくことも多いように感じています。その点、御社では最初から「戦える集団になるための働き方改革なんだ」「働き方改革のためのオフィスリニューアルなんだ」という明確なメッセージが全体に共有されており、我々をご指名いただき、がっちりとスクラムを組むことができました。コンサルタント冥利に尽きますし、コロナ禍以前という時期を鑑みても極めて先進的だったのではないかと思います。

つながる、混ざる、協働する。
3つのCに込めた想い。
デンソー 都築様:リニューアルにあたり、当社では「3つのC」というコンセプトを掲げました。Connectivity -コネクティビティ-(社員が新しいかたちでつながりあう)、Crossover-クロスオーバー-(物理的・心理的な壁を超えて混ざりあう)、Collaboration – コラボレーション -(デンソーらしく仲間と協働する)の3つの言葉のCですね。このコンセプトに基づいて立案した施策が、【フリーアドレス】【モバイルPC導入】【チャットやウェブ会議などITツールの活用】【ペーパーレス】そして【什器の標準化】の5つです。もちろん、ソフト開発職などデスクトップPCが必須の職種については、デスクトップPCにリモートアクセスできるようにするなど、個別の調整も行いました。私たちが目指したのは、コミュニケーションの量と質の向上です。席に縛られず、その日の仕事内容によって違う人が周りにいて、自然と会話が生まれる状況を当たり前にしたかったのです。コミュニケーションの量と質が向上すれば、意思決定のスピードも、一人ひとりの生産性も向上します。それが結果として、企業全体の競争力向上につながるという考え方です。

WSI 越田:このコンセプトをお伺いした時、デンソーさんという会社は私が思っている以上に部署ごとの縦のラインが強固なのかもしれない、と思いまして。縦のラインの強さは各部署が仕事に誇りを持って働かれていることの表れではありつつも、「つながる」「混ざる」といった言葉の強調には、部署間の横串的なものをオフィス改革に求める気持ちが出ているのではないかなと。
デンソー 都築様:鋭いご指摘です。当社では事業採算性をとっており、同じ会社にいても、部署が違えば文化も異なってくるんですよね。職場環境の整備にかけられる予算も部署ごとに異なり、その差がモチベーションの格差を生み、全社の一体感や競争力を損なっていた面があるのは否めません。私は常々、「同じ会社にいるのだから、誰もが働きやすい環境で仕事ができるよう整えていきたい」と思っていました。
WSI 越田:「平等感」というのはよくおっしゃっていましたね。
デンソー 都築様:はい。決して、皆が同じ環境を一律に与えられれば平等だ、ということではありません。部署ごとに仕事内容は大きく異なりますから、あくまでもそれぞれの部署の業務に応じた環境を整え、結果として「働きやすさ」が平等になることが理想だと考えています。オフィス改革に込めた私の個人的な想いは、まさにそこにあります。

決め手は「仕組み化」×「ロジック」。
楽しさに背中を押され、120 の現場が動いた。
ドウマ 小澤様:先ほど、「部署ごとの業務に応じた環境を用意したかった」とおっしゃいました。とはいえ120部署というのは途方もない数ですよ。しかも3年以内にリニューアルを終わらせなければいけない中、都築さんたちは一切の妥協をせず、スケジュールのリスクを負ってでも丁寧にユーザーの意見を聞こうとされていた。その姿勢に私は感銘を受けました。
WSI 越田:私もです。最初からユニバーサルデザインを選んで当てはめるわけではないんだなと、その点を魅力に感じました。
デンソー 都築様:大変でしたけどね(笑)。越田さんたちが効率よくニーズを引き出す仕組みを考えてくださったおかげで、本当に120部署すべてからしっかりと意見を吸い上げることができました。
WSI 越田:最初に全部署にアンケートとヒアリングを実施し、働き方の特徴や過密度、席が埋まりやすい時間帯、収納の空き状況、紙の印刷量等々を調査したんですよね。加えて自分たちの部署の役割や使命、重視する機能を書いていただき、それを元に今後目指していくオフィスのあり方を「オペレーション型」「ファンクション型」「イノベーション型」の3つに分類。それぞれの標準モデルを基本に据えて、フリーアドレス化を前提とした場合のレイアウトを組んで提案しました。これを各部署2、3回ずつ繰り返したでしょうか。とにかく個々のニーズ・実態・理想を理解していくのが全てのスタートですから、1件1件丁寧にヒアリングすることに努めました。
ドウマ 小澤様:部署ごとの温度差が最も出たのがフリーアドレスへの受け止めでしたね。当時の時代背景的にもまだ全く一般的ではなかったため、自然なことではありますが。
WSI 越田:部署によってはフリーアドレス化後の未来の働き方を描いたオリジナルストーリーを持参してくれるほど熱い想いを持っていたところもありましたし、逆に「自席がなくなることは避けたい、フリーアドレスだけはどうしても受け入れられない」と切迫感を持って意見をぶつけてくださった部署もありました。
デンソー 都築様:前例のない中で新しいことに取り組むのは怖いことですよね。「今がベストなのに」と言われると、こちらも考えさせられる部分がありました。
ドウマ 小澤様:ただ、「働き方改革」の大義実現のためには「変わらない」という選択肢は取れません。そこをご納得いただくためにも、部署ごとの意見をしっかり聞き、不安を受け止めて改革へといかにしてエスコートするかには大変心を砕きました。「変わる必要がある」ことの論拠として使ったのが、SECI(セキ)モデルです。SECIモデルとは、野中郁次郎氏らが提唱したナレッジマネジメントのフレームワークであり、個人が持つ「暗黙知」を組織全体で共有可能な「形式知」に変換し、新たな知識を創造していくプロセスを示すものです。知識創造のプロセスは「共同化」「表出化」「結合化」「内面化」の4つに整理され、相互に循環することで知識資産を増大させます。さらに、それぞれのプロセスは「ふらふら歩く」「軽く話してみる」など12の知的創造行動として具体化されています。今回、私たちはこれら12の知的創造行動を誘発する“場”までの落とし込みを独自で行い、オフィスの中に散りばめることをご提案しました。
ドウマ 小澤様:キーになるのはオフィス内を場から場へ「動く」ということです。自分の今抱えている仕事に応じて最適な場を探し、動くことが、知的生産性の増大につながる。それにはフリーアドレスがある意味必須なのだというお話をさせていただきながら、自分たちの働く場はどうあるべきかについてディスカッションを重ねました。
デンソー 都築様:デンソーには「なぜ」を3回繰り返す文化があるほどロジックを大事にする会社です。だからこそフリーアドレスを浸透させる上でSECIモデルという理論的な枠組みを持ってきてくださったのは非常に効果的だったと思います。SECIモデルについては「なるほど」とすぐに納得できるものでしたが、本当に理解に至るまでは小澤さんに何度もご説明いただきましたし、オリジナルの図解を作成してもらって社内のみんなが見られるようポスター化もしました。またこうした背景のロジックはブラさず、一方で家具や什器、カーペットの色などの選択肢は社員に委ね、「自分たちで選んだ」という実感を持ってもらえるようにしました。そこも大切なポイントだったと思います。
WSI 越田:WSIでは理論とビジュアルを組み合わせることを大事にしています。今回も最初に「理想の働き方」をマトリクスで提示した上で、働き方を選べば自然と適切な什器の選択肢が選べるカタログをデンソーさん専用で作ったんですよね。加えてオフィス内にモデルルームを設けて、椅子や什器の使用感を実際に試せるようにして。あくまでも根底には「理想の働き方」があり、オフィスで何がしたいかに紐付けて具体的な什器を選択できるようになっています。



デンソー 都築様:ビジュアルや体験を通じて、社員たちも楽しみながら選んでくれたと思います。実際のリノベーションは、老朽化が進んでいる部署から優先的に、毎週末2~3箇所ずつ進めていきました。「居ながらリノベ」と私たちは呼んでいましたよね。スケジューリングが命でしたので、エレベーターの動線に支障なく同時進行できる部署を割り出し、エクセルの色を延々と塗り分けて……それを3年分。
WSI 越田:いや、痺れる量です(笑)。移転時の家具の仮置き場もない中で、120部署のリノベーションを進めていくのは至難の業でした。でも、それを仕組み化できた点は自分でも達成感がありますし、何より丁寧にやり切っていく皆さんの現場力はやはり凄まじいと思いました。

「働き方」は進化の途中。
オフィスという器とともに、常に次の未来を見据えて。
WSI 越田:リニューアルから5年経ちました。改めて、改革の成果はいかがだったでしょうか。
デンソー 都築様:まず、プロジェクトの終盤にコロナ禍が訪れましたよね。幸いフリーアドレス化やモバイルPCの導入がほぼ済んでいたので、スムーズに在宅勤務に移行できました。逆にそうした基盤がなければ乗り越えられなかったのではないかと恐ろしく思います。また、「自分で選んだ」オフィスにはやはり愛着がある模様で、組織改変の際に次の組織まで家具を持っていった人もいます(笑)。
WSI 越田:嬉しいですね。アンケートでも、「組織の垣根を超えたコミュニケーションが取れている」「生産性の高い仕事ができていると感じる」など、およそ全ての項目がリニューアル前後で高まっているとお聞きしています。SECIモデルから展開した12の行動プロセスが意図していた、「個を大切にしながらみんなでいいものを創っていこう」という考え方がオフィスの中で反映できているのではないかと感じます。
デンソー 都築様:世代やバックグラウンドの違い、考え方の多様性を受け入れていく素地が整ったという意味でも、やってよかったなと改めて思います。そしてもちろん、これで終わりではありません。変化は今後も続きますし、組織再編の頻度もおそらく高まっていきます。そこに柔軟かつスピーディに対応していくには、空間的な余裕が本当はもっと必要です。一方、製造業は質実剛健で「少ない面積で経済的に回そう」という考えが未だ根強く、当社も例外ではありません。そうした価値観にもう少しテコ入れし、「余白を持つことの価値」を浸透させていくのが今後の課題かなと思っています。お二人はこれからのオフィスの展開をどう考えていますか?
ドウマ 小澤様:働き方の選択肢が今どんどん増えていますよね。働く場所もオフィスや自宅だけでなく、バーチャルやグローバルの方面に広がっています。「次のオフィス」を考える時は、今のオフィスでどんな新しい「働き方」が生まれているのかを観察することが肝要で、個人的にはモビリティ、つまり「動き」が大きなポイントになってくるのではないかと思います。動くことは、コミュニケーションの量と質につながり価値を生み出します。さまざまな新しい「動き」の受け皿となれるオフィスを考えていくことが鍵になるのではないかと思います。
WSI 越田:デンソーさんのオフィスについては、これまで6つの棟に個別にフォーカスを当ててきましたが、次は6つ全体を俯瞰すると新たな広がりが生まれるのではないでしょうか。海外では「コミュニティ・ベースド・デザイン」という考え方が注目されており、部署やチームを“ネイバーフッド(近隣コミュニティ)”として捉え、それらを有機的につなぎ合わせることで職場全体を一つの「街」として設計し、組織のウェルビーイングや協働を促進しようとするアプローチが採用されています。デンソーさんでは既に部署ごとの特色がよく表現されており、棟単位でもまとまりのある「街」ができています。デンソーさんのテーマである「共創」のサイクルが生まれる場ができ、そこから部署が発展し、ひいては会社が発展する。そんな流れも従前より見えてきたのではないでしょうか。今後はさらに6棟を含む敷地全体で何ができるかを考え、皆がより一層、共に生かし合えるよう刺激を与えていくと、さらなる進化を期待できるのではないかと期待しています。
デンソー 都築様:今改めて振り返っても、「大変だったけど、やってよかった!」。もうこの一言に尽きます。
